公益財団法人かかみがはら未来文化財団

つたえる

〈機関紙no.5インタビュー企画〉県外から各務原市へ移住/なぜ各務原に拠点を置こうと思ったのか。

2024.12.13

財団のこと、まちのこと、文化のこと、様々な情報を発信している機関紙『WHAT’S BUNKA』。no.5のインタビュー企画「ところでかかみがはらのみなさん「文化」ってどんなイメージですか?」では各務原にゆかりのある経営者、大学生、国内外からの移住者の方々へ、「文化」に対するイメージやご自身の活動についてインタビューを行いました。ここでは紙面では記載しきれなかった部分を加えレポートを公開します!

《暮らし×文化》
花と喫茶karakuru 高垣 茜さん
フリーランスデザイナー 小澤 ことはさん

移住のきっかけとなった各務原の魅力とは?県外から各務原に移住した高垣 茜さんと小澤 ことはさんのお二人から、暮らしや文化に対する考え方・感じ方を伺いました。

人との繋がりが今の仕事に繋がっている。

ーまずは、高垣さんの自己紹介をお願いします!
高垣:2024年の初秋1に「花と喫茶karakuru」をオープンするため準備をしています。これまで、仕事の関係で各地を転勤してきて、でも、いつか辞めようと思っていて、元々好きだったデザインやコミュニケーションが活かせる仕事をしたいとずっと考えていました。 でも、繋がりがないまま「いきなりお店やります。」って言っても誰?みたいになりますよね。みんなが自分のやりたいことを発言したりする場があると噂を聞き、(お店づくりのために)色々と繋がりが欲しいなと思い、2023年の冬に、かかみがはら暮らし委員会2(以下:暮らし委員会)の寄り合い3に行きました。

初めて寄り合いに参加して、お店の話をしたら「すごくいいですね」と、誰もやめた方がいいとは言わず、むしろ歓迎してくれて、受け口があったことが大きいですね。気づいたらお店の開店の準備をしてました。

1:取材時は7月だったためリノベ中でしたが、2024年11月3日にオープンしました。
2:(一社)かかみがはら暮らし委員会のこと。まちを楽しむきっかけをつくり、まちを楽しむ人が集まり、出会い、また新しいコミュニティとなって広がっていくことを願い活動しています。
3:かかみがはら暮らし委員会が毎月第一水曜日に開催している”人と人とを繋ぐ”まちの交流会。

ーご家族はどう感じていたのですか?

高垣:最初、家族からは自分たちの生活にも関わることだし、すごく心配されました。暮らし委員会は「それができたら楽しそう」というベクトルで言ってくれますが、大事に思ってくれる人ほど反対しますよね。そんな中でも、暮らし委員会で繋がった人たちの協力を得て、お店の解体も自分たちでやって、PEP UP CIRCLE4に手伝ってもらっている光景を見ているうちに「じゃあ大丈夫だね」と思ってくれて、今では家族も楽しみにしています。家族を納得させてくれたのも、暮らし委員会の力は大きかったです。

4: 各務原を拠点に、古材や古道具のレスキュー・リノベーション・販売等を展開するチーム。心地よいモノの循環が日常になるお手伝いをしている。

ー「人」の大切さを感じますね。

高垣:たとえ、凄い腕のあるパティシエだとしても、明日から店やろうと思った時に、何の繋がりも無ければ絶対うまくいかないと思います。お客さんが来てくれないと商売にならないから。それはここ1年で感じています。

改装中の建物の様子

心地よい暮らしとは何だろうか

ー続いて、小澤さんの自己紹介をお願いします!

小澤:「ozaco design」という名前でフリーランスデザイナーを軸に活動し、ライターやコーチングの仕事もしています。クリエイティブな両親の姿を見て育ったので、小学生の時には自然と「私はオフィスワーカーじゃないな」と思っていました。大学を選択する時も自然と芸大を調べていました。高校生の時は、デザイナーは「0から1を作る」仕事だと思っていたので、何かを生み出すのが苦手な私には難しい仕事だと感じていました。なので、(既に)あるものを組み合わせる仕事ならできると思い、大学ではインテリアコーディネーターを目指すことにしました。

ー家庭の環境が小澤さんの考え方を創っていったのですね。デザイナーへと選択肢が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

入学した大学は、最初にデザインの基本を学び、そこから自分の専攻を選ぶところだったんです。大学1年生の時に、「デザイン」はお客さんの要望・条件や、物事を整理して組み立てていくことを知り、「私、得意かもしれない」と気持ちが変化しデザイナーになるため勉強しました。大学卒業後はグラフィックデザイナーとして愛知県にある会社で働いていましたが、家族で愛知から各務原に引っ越すことになり、そのタイミングで仕事を辞めました。

ー各務原から愛知へ通勤する選択をしなかったのは何故でしょうか?

通勤も大変でしたが「私は何のためにそこで働いているの?」と自分の生き方を考えるようになり、同時期にコロナが流行し、自分の暮らしとゆっくり向き合う時間ができました。「時間の使い方や暮らしのリズムを自分でコントロールできるフリーランスという働き方が合っているかも。やってみよう。」と思い、2020年9月に独立しました。

その時期に、実家のリノベーションが始まり、設計をお願いしていた津川さんから「かかみがはら暮らし委員会に興味ないですか?」とお話をいただきました。フリーランスとなり、岐阜県には人との繋がりが全くなかった状態だったので「これはもう入るしかない」と思い、2020年12月に(かかみがはら暮らし委員会に)入会しました。積極的に活動に参加して繋がりが広がり色んな人の話を聞くうちに「これから、このまちはどうなっていくのだろうか」と、まちでの暮らしが楽しくなってきました。

暮らし委員会のメンバーとして「マーケット日和」の企画運営にも携わっている

一歩の行動が大切な出会いを生み出す

ー各務原に移住した理由は何だったのでしょうか?

小澤:以前住んでいた家から引っ越さなければならなくなり、家族で次に住む場所を東海三県で探していました。 偶然、母が各務原市のウェブサイトで「おっ!」と思うDIYできる空き家を見つけたんです。内覧に訪れた時、建物自体もとても良かったのですが、対応してくださった市の担当者の方々がとても柔軟で話しやすくて、各務原の方々の雰囲気の良さを感じました。各務原は全く知らない土地でしたが、「住み心地が良さそう」というイメージが家族で一致し、移住を決めました。 

高垣:私の出身は和歌山県で、各務原の前は、仕事の関係で三重県に住んでいました。18年前に、旦那さんが岐阜県出身だったことから、各務原へ転勤させてもらったんです。さっきも話していましたが、行政の人が行政っぽくなくて良いですよね。開業するために市役所へ行った時に、「一緒にやりましょう」という、みんなでまちを良くしようとする姿勢を感じました。あと、各務原って歩道も綺麗ですよね。暮らしの景観を整える意気込みを感じました。

ー他の地域に住んでいたからこそ気づける視点ですよね。

小澤:OFK5のサイトを見たときに「あ、このまち超イケてる」と思いましたもん。

高垣:個人がやりたいことを叶えるために行動した時に、行政が後押ししてくれる素晴らしさを感じますね。

5:OUR FAVORITE KAKAMIGAHARA:各務原市の魅力を発信するウェブサイト。通称は「OFK」。

日常に馴染みのある文化「食」

「文化」と聞いて、何を思い浮かべますか?

高垣:地域の文化みたいな、例えば食文化とか。旅行に行くとその地域らしい食が出てきたり、暮らしの延長にあるような食に出会いますよね。

小澤:それぞれの土地で暮らす人々によって紡がれてきた、風土のようなものをイメージします。憲法にも『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』ってありますよね。文化があるから、本を読んだり美味しいものを食べたりして生活が彩られる。今まで積み重ねてこられた文化を、いま私たちは楽しんでいるのだと思います。だから、「文化」は特別なものではないと感じています。

ー私たちの生活に欠かせない「食」こそ文化を感じられるものですよね。今までで印象に残っている「食」はありますか?

高垣:地元の和歌山にある「茶粥」ですね。ほうじ茶でお粥をつくるので茶色いんですよ。 実家では、当たり前のように食べていたり、スーパー行ったら茶粥用のほうじ茶が売っていたので、岐阜に来てスーパーで茶粥が売られてなかったことで、地域特有の食べ物だと知りました。

ー岐阜ならではと感じた食文化はありましたか?

高垣:岐阜独自の食文化というよりか、赤味噌とか愛知から受け継がれてるものが多いように感じました。良い意味で新しいものは受け入れるみたいな。特に「つけてみそ」とか、カツに味噌をかけるんだと衝撃を受けました。

小澤:地方に行くと色んな味噌と出会えますよね。旅行で沖縄に訪れた時は麦味噌、長野では信州味噌を買って家で食べたりしました。

ー旅行も色んな文化を知るタイミングになりますよね。

小澤:デザイン的な視点でいくと「洋服」も地域の文化を感じられますよね。民族衣装は美しいものが多くて、個人的にはアイヌの文様が好きです。最近だとインドサラサを買いました。その洋服がどうやって作られているのか、制作過程が気になってYouTubeで見漁ることもあります。

「文化」は難しそうで、身近な存在。

ーその他にも「文化」を体験する機会などありますか?

小澤:去年、劇団四季やブロードウェイミュージカル、ピアノコンサートを観に行きました。非日常な時間を過ごせるので楽しいですね。中学・高校は、トランペットを吹いている先輩に憧れて吹奏楽部で活動していたこともありました。

高垣:私は、学生時代はバスケをやってました。でも5年前、和歌山で子どもと一緒に単身赴任をした時に、娘と一緒にピアノを習って発表会に出たんです。だから、ピアノの経験はあります!先生に「お母さんもやったら」と言われたことがきっかけで、大変でしたが一生懸命練習すれば大人になってもできるんだと思いました。

ー最後に、お二人にとって「文化」とは何でしょうか?

高垣:「難しそうだけど、実は身近なもの」。 学校でも文化祭とかあるわけだし、勝手に高尚なもので自分とは関係ないと思いがちだけど、その辺に溢れてるのが本来の文化の姿なのだと思います。

小澤:「暮らし」かな。 私がどう暮らしていきたいかを考えた時に出てくるのは、文化を楽しめている暮らしなのかなと思います。